大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 平成4年(う)195号 判決

裁判所書記官

原田亘

本籍

愛媛県西条市禎瑞六九二番地

住居

大阪市阿倍野区晴明通三番二〇号

会社役員

石井秋平

明治四三年一一月一二日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成四年一月三〇日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し、原審弁護人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 小浦英俊 出席

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、主任弁護人岡島嘉彦外四名共同作成の控訴趣意書及び主任弁護人作成の控訴趣意書補充書各記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官重冨保男作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一点について

論旨は、原審における訴訟手続の法令違反を主張し、原判決が証拠の標目に掲示する前田克彦の質問てん末書三通は、刑事訴訟法三二一条一項三号の要件、ことに特信状況に欠け、証拠能力がないのに、これを証拠として採用し証拠の標目に掲げた原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。

そこで記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せ検討するに、関係証拠によれば、前田克彦は被告人の顧問税理士をしていた者であるが、被告人に関する所得税法違反嫌疑事件について査察官から昭和六二年四月一五日、六月三日、七月二一日の三回質問を受け、その都度質問てん末書が作成されたが、本件の控訴(平成元年五月二六日)の前である平成元年一月一一日癌により死亡したことが明らかである。

所論は、右質問てん末書作成当時の前田税理士の健康状態はすでに悪化しており、その迎合的で虚偽の多い内容をも併せ考慮し、また同税理士が右質問てん末書の内容を否定する査察官宛の供述書を作成した事実に照らすと、右質問てん末書は、癌の末期症状のため正常な精神状態になかった同税理士から無理に聴取したものであり、特信状況がない、というのである。

しかしながら、右質問はあくまで同税理士に対し、参考人として、しかも任意の取調べとしてなされたものであることが明らかであるところ、所論にかんがみ当審において、同税理士に対する最初の質問を実施した捜査官板倉良晶を証人として尋問したところ、同証人は、被告人に対する捜査着手の当日である昭和六二年四月一五日に、応援要員として前田税理士事務所の捜査差押と同事務所における同税理士に対する質問を実施した、同税理士に被告人に対する株取引課税要件の告知の有無を尋ねたところ、同人はただちに課税要件の話をしたことは間違いないが、時期、場所はすぐには思い出せない、と答えた、しかし同税理士から健康状態が悪いからという申し出もそのような印象も受けなかった、と供述した。

右証言内容に特に不自然な点はなく、また同証人は右期日以降本件査察には直接関与せず、被告人との利害関係は希薄と認められ、また査察当日という作為の入りにくい時点における出来事についての供述であることをも考慮すると、右証言の信用性は高いと認められる。

次に、同税理士が三回にわたる査察官からの質問を受けた後に作成し、実際には査察官には提出しないまま所持していたと認められ、従ってその任意性に疑問がない所論指摘の昭和六二年七月二七日付査察官宛供述書(鉛筆書きのもの三枚及びこれと同内容をワープロで清書したもの三枚-当庁平成四年押第六九号の符2、3)によれば、その内容は質問てん末書の内容を争うものではあるが、自分の健康状態の悪化を査察官が利用したとの口吻は全くうかがえないばかりか、その内容は、被告人に株取引の課税要件を話したことについて確実な証拠はない、したがって査察官に対する供述を取消すという、甚だ明快なものであって、同人が質問を受けた当時、弁護人指摘のような通常でない精神状態にあったとかそれを査察官が利用したとの状況は全くうかがえない。

以上検討した結果に、同税理士が被告人経営の会社とともに被告人個人の税務について顧問契約をしていた者であり、特段の事情がないかぎり、被告人に不利益な虚偽供述をする可能性が少ないことをも併せ考慮すると、前記質問てん末書には特信情況を認めるのが相当であり、右てん末書三通に証拠能力を認めた原判決に所論の訴訟手続の法令違反はない。本論旨は理由がない

控訴趣意第二点について

論旨は要するに、原判決の事実認定中、被告人に株取引に関する課税要件の認識があるとした点、配当所得の一部が被告人の長女のものであるのに被告人の所得とした点の二点において判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

まず第一点について検討するに、なるほど本件当時の株式取引による売買益の課税要件は、昭和六三年法律第一〇九号による改正前の所得税法九条一項一一号イ、昭和六二年政令第三五六号による改正前の同法施行令二六条一項、二項により「五〇回以上かつ二〇万株以上の取引」(以下単に課税要件という。)とされており、このような取引をしない一般人にまで右の課税要件が周知されていたとは考えられず、また被告人は、本件の昭和六一年(昭和六二年三月一六日申告)においてはじめて株式売買による利益を取得し、それまでは損失ばかりであったこともあって、それ以前に株式売買による所得を申告した経験が全く無いこと、被告人が本件当時証券会社一社と実名の取引をし、合法的に株式取引回数を減らすためのいわゆる総括表を用いるよう指示したこともない事実は関係証拠に照らして明らかであるから、本件当時右課税要件を知らなかったとの被告人の弁解も一概に不合理とはいえない。

しかしながら、被告人は、会社経営の経験が長いうえ戦前から株の取引を継続しておこなっていたいわば株売買のベテランであるから、非課税から例外課税と変化した株式取引に対する課税強化問題のみならず、仮に多額の利益があった場合に税金対策をどうするかというような点について一般的関心がなかったとは到底考えられないところ、被告人の株式取引を取り扱っていた山一証券株式会社阿倍野支店において被告人の担当係員であった原審証人堤竹勇は、被告人を担当した昭和五八年から六一年の約二年半の間に、時期、場面は不確かであるが前記課税要件について一、二度被告人に話した記憶がある、と供述し、その後任者である原審証人金沢正和も、昭和六一年三月の大阪ガス株二五万株売却の際に、一銘柄二〇万株以上の取引についても課税される場合があると株式取引にも課税される場合があることを被告人に警告した記憶がある、と供述しており、前記前田税理士も、前記質問てん末書の中で被告人経営の会社に関して税務調査があった際などに、数回にわたり株式売買の課税要件について被告人に話した記憶があると供述しているのである。

右の者らは、その職務柄、顧客である被告人に対し一般人が必ずしも知らない税金に関する法的知識を説明し、顧客に不測の損害が及ばないようにすることが重要な業務の一つであることや、時期や機会は明確ではないもののそのような話をしたこと自体はほぼ断定的に供述していることを併せ考えると、右の者らの供述には高い信用性が認められるといわざるを得ない。

所論は、右の者らの供述中、課税要件を告知した時期や機会の不明確性を指摘するが、前述のように被告人の株式による所得がなく申告がいまだ現実化していなかった時期における課税要件についての話は、前記証人からも自認するように他の話題に付随して雑談的になされたと認められ、これに原判決も説示するように昭和六一年中には、前記課税要件を変更してさらに課税を強化するのが妥当であるとする政府税制調査会の提案に対する議論が新聞紙上を賑わし、その記事の前提として当時の課税要件(前記課税要件)の説明が繰り返し掲載されていたことを併せ考慮すると、なんらかの機会に雑談的に話した記憶があるが、その時期等は覚えていないとの供述内容は、かえって信用できる、というべきである。

とりわけ、被告人の顧問税理士の立場にあった前田税理士が安易に被告人に不利益な内容の虚偽供述することは考えにくいところ、同人は前述のように査察の当初から課税要件を被告人に話した、しかし本件昭和六一年の所得申告の際に被告人から株取引による所得の話は全くでなかった、と被告人の故意を暗に認める供述をしていたこと、右供述を否定する前記供述書の内容を子細に検討すると、被告人に不利益な回答をしたものの、それは十分な記憶に基づくものではない、確たる証拠のない点について供述することはできない、結論として被告人に株の課税要件を告げた事実はない、というものでなるほど法的主張としては明確であるが、前記質問てん末書において、法人税査察の際等の時期に課税要件を告げた記憶があると供述しているのに対して、いささか弁解がましく具体性を欠いているといわざるを得ない。さらに右供述中には、以前の法人税査察の機会に被告人に株取引について尋ねたところ「個人の問題であり、損ばかりしている」との解答があった旨、税金と株取引の関連を前提とする質問を被告人にしたことを認める記載も含まれているのである。

以上の証券会社係員、顧問税理士らの供述に被告人の経済人としての知識経験に照らすと、被告人が課税要件の認識を有していたと認めるのが自然である。

これに対して被告人は原審及び当審において、株式取引はすべて非課税と信じていたと一貫して供述しているものの、前述のようにその株取引経験年数の長さ、株取引の数量の多さから証券会社では被告人専属の担当者を置いているほどのベテランであったこと、顧問税理士を依頼していたこと、原審も指摘するように被告人は会社経営者として新聞等によっても株取引課税問題に関する情報を得ていたと認められることに照らすと、課税要件について全く知らなかったとの弁解は余りにも不自然であって、容易に措信できない。

さらに所論は、前述のように被告人が証券会社一社で取引し、仮名を使ったり、株式取引の回数、数量を分散させるなどの税務対策を全くしていないことや、被告人が郷里等に多額の寄付をしたり地域の公職にも多数就任するという公的立場にあったから、故意に脱税をするはずがなく、課税要件を知らなかったと疑う余地があるというが、右のような事実は、被告人が悪質な隠匿工作をしていないことをうかがわせるにすぎず、それは被告人が昭和六一年まで株取引で全く利益を得ておらず、日常的に税務対策を迫られていなかったところ、同年の決算で予想外の巨額の利益があったことが事後的に判明した結果と解するのが自然であり、本件申告の際の課税要件の認識とは別個の問題といわなければならない。

以上のとおり第一の点に関する所論は採用できない。

次に第二点の、被告人の長女石井紀美子名義の三共株式会社名義の株式配当金九万七五〇円は、同女に帰属する所得である、との所論について検討するに、被告人は査察官に対する昭和六二年八月一一日付質問てん末書において、同女名義の右株式は、名義にかかわらず被告人の所有するものであり、その配当金についても被告人が受領している、と極めて明確に供述しているところ、その額が多額ではなく、査察官が右名義についてことさら被告人に虚偽供述を押しつけることも考えにくいから、右供述内容は信用できるというべきである。

被告人は、原審及び当審において、右株式は昭和五七年九月二九日の名義変更の際に、実際に長女に贈与したと供述するが、査察段階の前記供述内容については合理的な説明をしておらず、措信できない。本論旨は理由がない。

控訴趣意第三点について

論旨は要するに、本件のような実質的不申告行為は、所得税法二三八条一項の「偽りその他不正の行為」に該当しないのに、右条項を適用した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤がある、というのである。

しかしながら、前述のように被告人が課税要件を知りながら、従って故意に株式売買益を除外した所得税申告書を提出したことは明らかであるところ、右のいわゆるつまみ申告は右条項にいう不正行為にあたると解すのが相当である。

本論旨も理由がない。

控訴趣意第四点について

論旨は、被告人を懲役二年六月及び罰金一億円、三年間懲役刑執行猶予に処した原判決の量刑不当を主張し、ことに被告人の株取引の利益が単年度にとどまり、その後はかえって株式相場の低迷により多額の負債をかかえる状態になった点を考慮すると、右罰金刑は過重であるというのである。

そこで検討するに、本件は昭和六一年分の所得税約五億三八〇〇万円をほ脱したという事案であるところ、そのほ脱額は到底軽視できない巨額に達しているといわざるを得ず、なるほど被告人はその後バブル経済崩壊の被害をも受けていることは事実であるが、右のような巨額の利益について課税を免れようとした責任にはなお重いものがある、といわなければならない。

したがって、原判決指摘のように手口が悪質とはいえないこと、既に重加算税等合計約七億一八〇〇万円余を納付していること、これまでの会社経営、地域あるいは郷里への多額の寄付等の社会的奉仕活動による貢献には十分評価すべきものがあること、現在では資産を大幅に上回る借財に苦しんでいること等の諸事実を考慮しても、なお原判決の前記量刑は相当であって、罰金刑の点を含め重きに過ぎるとは考えられない。論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村上保之助 裁判官 米田俊昭 裁判官 安原浩)

控訴趣意書

所得税法違反 石井秋平

右の者に対する頭書被告事件について、控訴の趣意は左記のとおりである。

平成四年五月二九日

弁護人 岡島嘉彦

同 竹村照雄

同 藤原光一

同 池尾隆良

同 正木隆造

大阪高等裁判所第六刑事部 御中

第一、序論

一 本件は、原判決において、被告人が昭和六一年分の実際総所得金額が七億八九三一万四四八〇円あったのに、株式の継続的取引による雑所得の全部を除外するなどの方法により所得の一部を秘匿して内容虚偽の所得税確定申告書を提出し、所得税額五億三八五八万七一〇〇円を免れた、と認定された上、懲役二年六月(執行猶予三年)及び罰金一億円に処せられた所得税法違反被告事件である。

被告人の昭和六一年度の所得は、昭和六二年三月一六日の所得税確定申告の際、同申告書に記載した給与所得及び不動産所得(欠損)のほか、雑所得として申告すべきであるのに、申告書に記載しなかった株式の継続的取引による所得と株式配当所得(いずれも課税要件該当)であったのであるが、右不申告部分のあったことが「偽りその他不正の方法」による逋脱罪に当るとして起訴されたものである。これに対する被告人・弁護人の主張は、〈1〉株式の売買益による所得に対する課税について、被告人は、課税要件を知らず、有価証券取引税の納付によってすべて納付済みであると信じており、その取引の手段方法その他の態様等には何らの秘匿隠蔽行為がなかったのであるから、右不申告には逋脱の犯意なく、その行為も「偽りその他不正の方法」によるものとは言えないとし、〈2〉右配当所得の課税については、すべて分離課税の申告をしていたので、課税納付済みと思っていたもので、また、被告人は一定金額以上の配当については総合課税となることを知らなかったのであるから、配当金に対して確定申告の要なきものと信じており、逋脱の犯意がなく、無罪であるというものである。なお配当所得の一部については、被告人の長女の所得に帰属するものである、というにあった。

これに対する原判決の判断は、右〈1〉の点について、被告人らの主張を斥け、被告人は課税要件を知っていたものと認定し、右〈2〉の点については何らの判断を示すことなく公訴事実記載どおりの逋脱額を認定し、有罪の判決を言い渡した。

二 被告人は、一〇数年来主として信用取引による株式売買をくり返してきたものであるが、その取引の特徴は、毎年(毎回)多額多数回に及んでいるところ、

〈1〉 株式取引の名義は、被告人自身の名義であって、家族や知人などの借名や仮名を使用していない。

〈2〉 株式の取引の申込みは、山一証券阿倍野支店のみを通じて行っている。

〈3〉 取引の内容を見ると、取引回数や取引量を少なくするような工夫工作を一切していない。

〈4〉 右証券会社との保証金納付や取引損益の決済には、ほとんど三和銀行天下茶屋支店ほか一行の被告人名義の単一口座を用いている。

〈5〉 被告人は、会社経営の傍ら数多くの公私団体の役職を兼ねて、社会奉仕に心がけると共に、出身地自治体をはじめ、公私の団体等に対しこれまで数億円にのぼる寄付を続ける等、清廉潔白無欲の人生を築いており、

自己一身の利得をはかるが如き行為とは無縁である。

などの実情にある(原審において立証済み)。

また、株式の配当所得については、毎年所定の分離課税方式を選んで納付していた。

三 本件当時株式取引については、年間売買回数が五〇回以上で、年間売買株数の合計が二〇万株以上の場合は総合所得課税の対象とされることとなっており、被告人の株式取引は右課税要件に該当していたのであるが、被告人は、右のような課税要件について、誰からも説明を受けたことはなく、新聞等でも見ておらず(正確には新聞を見たかも知れないが、これを認識するに至らなかったということである)、損益の出入りの大きい株式取引による所得においては現行法上非課税であると信じ、株式売却の際徴収される税金により株式取引に関する税はすべて納付済みであると考えていた旨査察調査の段階から一貫して述べている。

弁護人は、前記二の〈1〉ないし〈5〉の諸事実は、被告人が課税要件を知らなかった事実を裏づけるに十分な情況であって、株式売買益の存在を秘匿するような具体的行為が一切存在しない本件では、被告人には所得税逋脱の犯意がなく、かつその行為は所得税法二三八条一項にいう「偽りその他不正の行為」に該当しないと主張し、原審法廷に顕出された証拠の採用並びにその信用性の吟味を含め、事実認定上及び法令適用上数々の問題点を提起し、これらに対し、原審裁判所が十分に説得力ある答えを示し、刻苦精励誠実に生きて今や老境に至っている被告人に対し、納得と感銘を与えるに足る判決をされるよう要望した。

四 然るところ、原判決は、被告人が課税要件を認識していたものと認定し、雑所得の全部を除外することにより所得金額が過少であることを認識しながら、所得税確定申告書を提出したのであるから、被告人には逋脱の意思があり、その行為が所得税法二三八条一項にいう「偽りその他不正の行為」に該当することは明らかであるとして、被告人に対し有罪の判決を言渡した。

そして被告人が課税要件を認識していたことを認定するに足る証拠として、

〈1〉 税理士前田克彦の査察官に対する質問てん末書の供述

〈2〉 山一証券阿倍野支店営業第一課長(当時)堤竹勇及びその後任である金井正和の公判供述

〈3〉 日本経済新聞の課税要件に関する記事

をあげた。

右〈1〉は、被告人の課税要件認識を認定するメインの証拠となっているが、前田克彦は、査察官の調査を受けた当時、がんが進行して重篤ともいうべき症状にあり、その後査察官あて、質問てん末書の供述を否定する「供述書」(平成二年押一三〇号の2、3)(以下「供述書」という)を遺して、検察官の取り調べを受けることなく死亡した人物である。本件は、検察官による訴追の遅れから、同人に対する被告人・弁護人の反対尋問の行使が奪われたまま、問題の多い同人の査察官に対する質問てん末書が、その供述の具体性の故に信用性ありとされている点で、最も承服し難いところである。

右〈2〉は、課税要件を被告人に告げたとする山一証券阿倍野支店営業担当者の査察官に対する質問てん末書の供述が検察官の面前において一歩後退した供述となっている上、公判ではさらに後退し、ことに弁護人の反対尋問によって、課税要件告知の必要性、必然性がなかったことが客観的情況を基に明らかにされ、その供述の信用性が十分弾劾されて殆ど形骸のみとなった代物である。

右〈3〉は、新聞記事であって社会的存在としては意味はあるが、個別に被告人がそれによって課税要件の存在を認識していたと認定するには、それのみでは極めて不十分というべきものである。

原判決は、このような到底納得し難い証拠によって、被告人が課税要件を認識していた旨認定する一方で、課税要件の不知を推定するに足る前記二の情況のうち、その〈1〉、〈4〉、についてのみ右認定の妨げとはならないと一蹴しただけで、二〈5〉などを含む全人格的考察をすることなく、また弁護人が提起した本件査察から検察官による捜査処理のあり方に対する問題点に考察を加えることなく、いわば技術的判決文に終始したいといっても過言ではない。かかる判決が被告人に対し、どれだけの迫力と説得力をもって感銘を残すことができるであろうか。

弁護人は、被告人の意思に反しない限り、本件の包含する実体法的手続法的問題を刑罰権行使のあり方にかかわる本質的問題としてとらえ、高等裁判所に対し、さらには最高裁判所に対し訴え続ける所存である。

五 以上の次第であって、本件控訴の趣意は、原判決には

第一に、検察官の訴追の遅れによって反対尋問権行使の機会を失った不利益を一方的に被告人に帰し、任意性特信性のない前田克彦の査察官に対する質問てん末書を証拠として採用した訴訟手続の法令違反

第二に、証拠の評価を誤り信用性のない証拠によって被告人に課税要件の認識ありとした事実誤認、及び、配当所得の一部が被告人の長女の所得に帰属するのにもかかわらず、これを被告人の所得と認定した事実誤認があって、それらは判決に影響を及ぼすことが明らかである点を主とし、さらに

第三に、本件のような事実関係の下における株式取引益の実質不申告行為は、所得税法二三八条一項の「偽りその他不正の行為」に該当しないのに該当するとした法令適用の誤り

第四に、仮に右主張が許容されず、被告人が有罪であると認定された場合の量刑において、原判決が被告人に対し懲役刑(執行猶予)及び罰金一億円に処することとされたが、右量刑、特に罰金額は、本件のような具体的事実関係並びに情状の下では、重きに過ぎる旨の量刑不当があるとして、原判決の破棄を申し立てるものである。

第二 控訴趣意の第一点――訴訟手続の法令違反

原判決は、前田克彦の査察官に対する質問てん末書の供述を本件有罪認定のメインの証拠に位置づけているのであるが、右供述は、特信性のないことが明らかであり、かつ被告人の反対尋問権が行使し得たのに検察官の訴追の遅れによってその機会を失ったもので、かかる証拠能力のない証拠を採用したのは、訴訟手続に法令違反があって、その違反が判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一 税理士前田克彦は、必ずしも優秀有能な税理士とは評価できず、被告人とも親密な関係ではなかったものである。

前田克彦の父前田善蔵は税理士であって長く税務事務所を経営してその業務に従事し、被告人経営にかかる興亜コンクリート株式会社の顧問として被告人とつながりのあった人であるが、前田克彦は右事務所に籍を置いていたものの、税理士試験に合格することができず、やむなく資格取得のためには試験免除となる大阪学院大学大学院に通学してようやく税理士の資格を得たものであって(佃証言二丁以下)、これらの経過からは、同人が必ずしも優秀な税理士とは言い難く、また父の死後税理士となってからの事務所運営も具体的事務について事務員任せの姿勢であり(佃証言四丁)、受験時代、大学院通学時代と同様に有能にして誠実な働き振りを示していたとは認め難い。

特に会社を含め被告人関係の税務の担当者は杉田伸治事務員であり(佃証言五丁)、被告人はほとんど前田克彦と言葉を交わしたことがなく、両者の関係はおよそ親密というには程遠く、他の情況とあわせ(後述)、被告人が同人から株式取引の課税要件の説明を受けて認識を新たにする必然性はなかったものである。

二 前田克彦は、査察官の調査を受け質問てん末書を作成された当時、すでにがんが身体各所に転移して次第に症状が重篤になりつつあった時期であり、堤竹勇、金井正和ら他の関係者に対する査察官の苛酷強制にわたる調査状況にかんがみても、何らの心理的強制なく、自由にありのままの真実を供述する状況にあったとは認め難い。

1 本件査察は、被告人が確定申告書を提出して僅か一か月後の昭和六二年四月一五日一斉に着手されたのであるが、初日にして早くも、被告人が株式取引に関し借名、仮名を一切用いず、何らの隠蔽工作がなく、蓋を開ければその実体が明白な態様であることが判明し、ここにおいて査察当局は、被告人が課税要件を認識していることが本件逋脱罪の成否の鍵となるとの観点から、そこに重点を指向して調査に当たったことは明らかである(査察官中野晃男証言、第九回公判三一丁以下)。

2 かくして査察官は、被告人の株式取引に深く長く関与している山一証券阿倍野支店の営業担当者の調査にいわば集中攻撃をかけ、被告人に課税要件を告げた旨の供述を引き出すべく努めたが、査察官自身の株式取引、なかんずく信用取引についての知識不足と、被告人の株式取引の実体に対する調査が不十分なまま、やみくもに供述を得ようとした矛盾が、質問てん末書の供述自体に自ら明らかにされていること後に詳述するとおりである。おそらく査察官には、山一証券阿倍野支店営業担当者の供述が不確かであることを身をもって体験し、そこから次の重要な目標を税理士前田克彦に定め、調査を進めたものと思われる。

3 前田克彦の質問てん末書の特信性を考察するに当たり、右のような査察官のねらいを基にして、まず考えるべきは、「税理士」なる有資格者の税務当局者に対する姿勢である。周知のとおり、税理士は、税務当局出身者が多いのに加え、全体として国税当局の監督下にあり、全く自由な立場をその存立の基礎とする弁護士と異なり、納税者と税務当局との円滑な橋渡し役、税務行政の協力者としての位置づけが伝統的であり、納税者からも税務当局に顔の効く者が重宝な存在とされている。これらの実態から税理士が税務当局から「睨まれない」ことが営業政策の大切な柱となる。このような立場の前田克彦「税理士」に対し、査察官が山一証券阿倍野支店営業担当者に対し、顧客に課税要件を説明するのは、職務上当然として迫ったと同様、「税理士」もまた顧客に対し諸々の課税要件を説明して万遺漏なきを期すべきは当然として供述を求めたことは推測に難くない。

前田克彦が後に述べるように、およそあり得ない状況下の供述を敢えてするような査察官に対する迎合的態度、そして心にもない供述をしたことの良心の呵責から深酒をするなどの生活に走ったと思われる行動があったこと、質問てん末書に事実に反する供述をした旨を告白した「供述書」を作成したこと、そして、これを査察官に提出しなかった躊躇など、その心底にあったものの真相は、右のような税務当局と税理士との微妙な関係を洞察することなしには解明できないものである。

4 前田克彦が査察官の調査を受けた当時の健康状態は、がんの進行のため心身共に衰弱し、平常心を維持して調査に、耐え得る状態にはなかったものと認められる。

即ち、当時の主治医であった甲田嘉彦の証言(第一一回公判)からも明らかなように、前田克彦は近畿大学医学部附属病院における初診日の昭和五六年一月二九日にはすでに上顎腫瘍疑でがんに侵されており、この段階で五年の生存率は五〇%であった。同年一〇月一〇日から一二月一八日まで入院し、昭和五七年一一月には左鎖骨上窩にがんのリンパ節転移が認められ、この時点で生命的余後は非常に悪い状態となっていた。昭和五九年一月頃は血痰と咳の発作を起こす症状となり、がんの六~七か所の肺転移が発見された。そしてリンパ節の腫れは幅七センチメートルにもなり、外部からも明らかに見える状態となった。同病院への通院のほか、近畿中央病院へも入院または通院して抗ガン剤の治療を受けたのであるが、昭和六一年一二月には左側神経麻痺となり治療不能で声がかすれ、息もれがし、痛みも伴うという状態にまでなり、抗ガン剤の投与による副作用によって頭髪が抜けるに至っていた。さらに昭和六二年七月二三日の所見では、左の主気管と気管支に四・五センチもある大きな腫瘍が認められ、気管が著しく圧迫変形している。また横隔神経麻痺も認められ、左肺での空気の呼吸状態が悪化している。具体的には血痰と呼吸困難を伴う症状となり、痰がからんで死亡の危険性があった。その後昭和六二年一二月に入院し、昭和六三年二月退院、さらに同年五月三一日から六月二二日まで入院し、同年八月九日から九月一日まで入院し、同年一〇月一七日から同年一一月三〇日まで入院、最後に同年一二月一五日入院し、平成元年一月一一日死去した。

前田克彦が査察官から調査を受けたのは、昭和六二年四月一五日、六月三日、七月二一日であり、前述のとおり、その頃は、当初発見された上咽頭がんから左鎖骨窩へ、さらに主気管と気管支に順次転移し、血痰や神経麻痺から呼吸困難な状態にまで立ち至り、全身衰弱も始まる段階で、痰がつまり死亡の危険性もあったのである。

このような身体的状況下で、精神状態も不安定であったものと思われるが、山一証券阿倍野支店営業担当者に対する調査態度からもうかがわれるように、査察官が意図する供述を引き出すために、前記3の立場を背景に、長時間執拗な取調べを行い、その調査に抗しきれず、早く調査を終わらせたいために、査察官に迎合的な供述をした疑いが合理的事実として推測され、かかる供述に真の任意性があったとはいえず、右のような諸状況は、その供述の特信性を否定するに十分である。

5 さらに前田克彦の査察官に対する質問てん末書の供述をその内容に立ち入って検討してみると、供述の迎合性が浮かび一層特信性の存在が疑われるであろう。

(一) 前田克彦の質問てん末書によれば、同人が被告人に株式取引に関する課税要件の話をしたのは前後三回であるというのであるが、その第一回は一〇年くらい前(昭和五二年ころ)に被告人の個人所得税の確定申告書を作成する際、配当所得に関係して株式取引の課税要件を話したというのであり、当時堺の建築会社の脱税事件の査察の関連で調査を受けた被告人が、その件で前田克彦に相談し、課税要件も弁護士から聞いて知っている旨答えたというのである。

しかし、藤原光一弁護士の陳述書(弁一五)で明らかなように、当時堺の建築会社藤岡組の法人税脱税事件に関連して調査を受けたとしても、同事件の関係で株の取引とかその課税要件が話題となることはなく、また被告人の株の信用取引を知らなかった同弁護士が課税要件を被告人に話す必然性はなかったのであるから、被告人が前田克彦に弁護士から聞いて知っているという筈はないのである。また被告人は自己の株取引の内容を前田克彦に話したことはなく、そのような前田克彦もまた藤原弁護士と同じく課税要件を話題にする必然性はなかったのであるから、この点の前田の供述は、査察官に迎合した創作というほかはない。

(二) 第二回目は昭和五二、三年ころ、被告人の配当所得の申告の際(配当所得の申告もれによる修正申告書を提出する際とする供述もある。)、課税要件の話をしたという。

しかし、当時は、克彦の父前田善蔵税理士が事務所を経営しており、被告人や会社の税務はすべて同税理士に依頼していたもので(被告人質問第一二回公判一〇丁以下)、いまだ税理士の資格が得られず、大学院に通学中で税務実務にも関与することが少なかった克彦が、父をさしおいて親しくもなかった被告人に課税要件を説明する筈がない。ここでも前田克彦の査察官に対する迎合性が顕著であるといわざるを得ない。

(三) 第三回目は、昭和五七年六月ころ、興亜コンクリート工業の法人税の調査の際、税務署員から被告人個人の株式取引の明細、マージン取引の内容を聞かれた際、これを被告人に確かめ、個人の株式売買にかかる所得税の話に及び、二〇万株五〇回の株式売買により利益が出れば所得税がかかり、申告を必要とすることを告げたというのである。

しかし、このような課税要件の告知に至った状況の説明が十分でないし、当時被告人は株式取引によって多額の損失こそあれ利益を得ておらず、客観的にも課税要件が話題になる必然性がなかったのであり、被告人は「(株式取引は)個人の問題であり、損ばかりしている」として話が打ち切られたのであり(「供述書」)、両者の間で課税要件が話題となる具体的状況や必然性はなかったといわざるを得ない。

ここにも前二回と同様前田克彦の査察官に対する供述の迎合性がうかがわれる。

三 以上の考察によって明らかなとおり、前田克彦の質問てん末書の供述には、その任意性特信性に重大な疑問が存在するのであるが、ここで被告人の反対尋問権の保証の観点から検討を深める必要がある。

即ち、前述したような調査状況の問題点、供述内容の問題点は、すべて前田克彦に対する被告人弁護人の反対尋問に十分さらして吟味されるべき事項である。その反対尋問に果してどの程度耐えられるのかの検証を経てこそ証拠としての価値がある。質問てん末書や検察官面前調書の供述が、法廷における弁護人の尋問によって、本質的な変更をもたらした堤竹勇、金井正和の証言の例は、前田克彦についても当然あてはまる事柄である。

原判決は、前田克彦の質問てん末書の供述について「不治の病に冒されていたとはいえ、税務の専門家であるから、課税要件の認識の有無が本件の重要な争点である、関与税理士である自分の供述が事件に決定的な影響を与えることを十分に認識した上で査察官に対して前記のような供述をしたものとみられる。さらに、その供述内容もかなり具体的であるばかりか、課税要件を一度ならず三度までも告げたというのであるから、この点について、前田税理士に勘違いや錯覚があったとは考えにくい。また顧客の正当な利益を擁護すべき立場にある税理士が十分な根拠も確信もないのに、査察官に前記のような供述をするとは思われない。)と判示している。

しかしながら、いかに供述が具体的であり、それを何度繰り返していようとも、そのような供述が否定された事例は裁判上数多く存在する。ましてや反対尋問によって弾劾された実例はさらに多いのであろう。反対尋問の必要性は、供述者の資格や身分にかかわりなく真相究明のためには必要不可欠であり、原判決が判示する右のような諸事情もまた、被告人弁護人としては最も関心を注いで前田克彦本人に問い確かめたいところである。もしその税理士としての資格や立場の故に、そしてその供述の具体性の故に信用できるというのであれば、それらの者について伝聞法則の例外的規定を原則的に置けばよいということになる。これが現行刑事訴訟法の理念に照らし暴論であることはいうまでもあるまい。しかし結果的に原判決はかかる暴論に組しているのではあるまいか。

原判決は、前田克彦が遺した「供述書」について、その真実性には大きな疑問はあるとし、また作成して一年五か月以上経過しているのに、右「供述書」が現実に国税局に送付された形跡がないのであるから、この書面の存在を重視することはできないとしている。しかしながら「供述書」自体になお査察官に対する迎合的姿勢の残存と真実への回帰の動揺があるとしても不思議ではないし、前田克彦が査察官から調査を受け始めて以後の生活の乱れには、死の近いのを自覚しての苦悩があったかも知れないが、本件における査察官に対する迎合的供述についての懊悩による場合も考えられるのであり(克彦の妻前田エイ子の証言五丁以下)、速やかに国税局に提出しなかったのも、被告人と査察官の狭間でゆれ動く心境や病状の悪化によることが考えられるのであり、いずれにしても、これらの点はすべて前田克彦に対する被告人弁護人の反対尋問にさらしてこそ真偽を決すべきであって、原判決の如く、一義的に解釈して信用性を判断されてはたまらないというのが被告人弁護人の偽らざる心境である。

反対尋問権の行使は、本件の具体的事情の下ではこのような重要な意味を持つものであり、これが単に供述者死亡の故に簡単に排斥されるべきではなく、その供述の任意性特信性には格段の考慮がめぐらされなければならない。

四 さらに、裁判所に考えていただきたいのは、前田克彦に対する反対尋問権が行使できなかったのは、検察官の本件訴追の遅れに由来する点である。

検察官は本件の送致を受けて一年六か月余も起訴をせず放置した。大阪地検は多忙を極め、優先処理すべき事件が多かったのかもしれない。しかしそのような検察の内部事情の故に、検察官の客観的義務遂行の遅れが許され、その不利益が一方的に被告人に帰せられるいわれはない。

もしも検察官による本件捜査が受理後速やかに行われ、前田克彦の取調べがその病状にかんがみ慎重に行われていたならば、「供述書」の内容ともあわせ、場合によっては査察官の質問てん末書の供述を重要な点で否定したかもしれず、然る場合検察官は、右質問てん末書を法廷に顕出することなく終わったであろう。

またその存命中に証人尋問することができれば、被告人弁護人としても十分反対尋問を行うことができ、その結果がいかなるものであろうとも、刑事裁判の性質上被告人弁護人として諒とせざるを得ないであろう。

被告人弁護人は、前田克彦に対する反対尋問の不行使が、かくの如く検察官の訴追の遅延によってもたらされ、その不利益を一方的に一身に背負わねばならない点を、当事者主義、直接主義、伝聞法則の排斥の諸原則に立脚する刑事訴訟法の理念に照らし、許し難いと考えるものである。

五 以上の次第であるから、前田克彦の査察官に対する質問てん末書は、その供述が特に信用すべき情況の下でなされたものとは云えず、刑事訴訟法第三二一条の要件に該当しない証拠を採用した原判決には、訴訟手続の法令違反があって、それが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。

第三 控訴趣意の第二点――事実の誤認

その一 被告人が株式売買益の課税要件を認識していたと認定した事実誤認

被告人の一貫した終始変わらぬ主張は、株式売買益の課税要件を知らず、確定申告書の提出の際も勿論認識していなかったという点である。そして、そのことは、具体的には、既述の様に株式取引のあり方自体に何らの隠蔽工作がなく、正々堂々としていること、全人格的には、社会奉仕に徹し、多額の公共的寄付を続けていて蓄財に汲々たるところが少しも存せず、脱税の意図とはおよそ無縁の生活をしてきたこと等から十分な裏づけがある。しかるに、原判決は、このような全人格的考察をすることなく、また被告人の株式取引を具体的に検討することなく、特信性、任意性を欠き、本来証拠能力のない前田克彦の査察官に対する質問てん末書の供述を中心にして、法廷における尋問で課税要件告知に関しほとんど形骸化した証券会社営業担当者の証言と、新聞記事によって、被告人が課税要件を知っていたものと認定し、従って直ちに逋脱の意図をもって株式売買益(雑所得)を除外した確定申告書を提出して、脱税したと断定した。

即ち、原判決は、証拠の選択とその評価を誤って、被告人に株式売買益についての課税要件の認識があった旨認定した点、及び、そのことにより逋脱の意思をもって確定申告書を提出したとする点に重大な事実の誤認があり、それが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一 従来逋脱犯として検挙起訴された事案の中で、株式売買益について所得税法違反に問われた例は極めて少ないのであるが、起訴有罪事犯の特徴的な点は、

〈1〉 株式売買にあたり、家族、知人等の他人名義や仮名名義を用いて、株式取引を分散し、各々について課税要件に該当しないような方策を講ずること

〈2〉 右に加えて取引の取次ぎを単一の証券会社とせず、多数に分散して個々的には少ない取引を装うこと

〈3〉 機を見て利得をはかり、日々値動きに応じて短期間に売買を行うこと

〈4〉 1日の取引回数を少なくするため一口注文や総括表を活用すること

〈5〉 株式売買によって得た利益を隠匿すること

など、いかにして課税要件に該当しないよう見せかけるかに腐心努力していることである。

然るに、被告人の株式取引を見ると、

〈1〉 自己の単一名義により、みずから株式売買の申し込みを行っていること

〈2〉 右売買は山一証券阿倍野支店のみを通じて行っていること

〈3〉 右売買に関し、山一証券に対する担保の提供、金銭の支払はすべて被告人名義によって行い、売買益が生じた場合の清算金もすべて被告人名義の銀行口座への振込みによっていること

から、まことに公明正大であって、調査すれば一目瞭然たる状況下で株式取引を行っているのであるが、さらに

〈4〉 被告人の株式取引は、その大部分が信用取引であるところ、目先の値動きによって、目ざとく売買をくり返して求めるという通常の短期決戦型の取引態度をとらず、金利負担にかかわらず六か月のぎりぎりに清算することが多く、全体的にみると、株式取引そのものを質的かつ量的に悠々と楽しんでいる趣があること

〈5〉 一日の取引回数を少なくするための一口注文や総括表を使用することにより課税を回避しようとしたことはなく、株式取引の回数や数量を課税要件の限度内にとどめるという方法にも全く無関心であったこと

〈6〉 また、具体的にみる取引では、例えば昭和六一年一二月二四日現物株の東京ガス五万株を売却して、多額の利得を得ているが、すでに六一年中に信用取引により数億円の利益を得てそれに対する所得税率が七〇パーセント以上となるのであるから、六二年に入って処分するなど利益を分散して高税率を避ければよいのに、このような考慮を全くしておらず、およそ課税要件の存在を知らない(取引税ですべて納税済みとの知識のみ)、換言すれば、税に無頓着な取引態度であること

〈7〉 株式売買を被告人の経営していた興亜コンクリート工業株式会社に分散したりして、売買回数を減じたりすることなく、また、損失を他の帳簿との通算できる会社を売買主体としていない。また、課税の面からだけみても法人の場合は所得に対し一定額(三〇%ないし四二%)の税率であるのに、個人の場合は税率七〇%以上であったにもかかわらず、法人での株式売買としていない。

二 このような株式取引の実情に加えて、被告人の利得や蓄財に対する姿勢をその生涯や処世の中から全人格的に考察してみると、脱税を企図し試みるような人間とはおよそ縁のない人物像が浮かび上がり、そのことからも、被告人が株式取引の課税要件を知らなかったことを肯認することができるのである。

1 被告人の生立ちや人となりについては原審において立証を遂げたところであるが、刻苦奮励型に加えて先見性に富み、事業に成功する一方で、つとに国家社会に役立つという奉仕的志向があって、戦後いち早く、大阪刑務所の服役作業のためのセメント瓦生産に協力し、社会福祉法人羽曳野荘でも収用されている青少年のためにセメント瓦の生産を行った。

そしてコンクリート製品の開発生産の傍ら用地の必要もあって乞われるまま大阪市内を中心に土地を購入し、これが値上がりによって被告人の財産形成に大いに寄与することとなったが、これを単なる蓄財にとどめることなく、次々に売却して、これが多額の寄付の原資となっている。

2 被告人は、土地建物を含め、これまで総計七億五〇〇〇万円以上の寄付を続けてきた。それは出身地愛媛県の西条市や出生地自治会、出身小学校、会社工場所在地の自治体、現住地元地区、赤十字社、共同募金、神社等広範囲に及んでいる(弁二八ないし三三。被告人質問第一六、一七回公判)。これら寄付の間、被告人はこれを世に広めて宣伝することなく、自ら語ろうとしない謙虚な姿勢を貫いてきたのである(木下稔証言八丁等、なお被告人の最終陳述参照。)。

3 被告人は、多くの公私団体の役職を兼ねた実力のある世話役であり、また叙勲褒賞をはじめ数々の表彰を受けている(報告書弁一七、五八)。

詳論を避けるが、被告人は晩年に至って社会奉仕の度を強め、本件査察が開始された当時は、奉仕が主、事業経営が従の毎日となっていた。このような被告人の全人格的考察を抜きにして、本件脱税事犯成否に対する真の判断、洞察はできないであろう。

4 そして、被告人は、昭和六二年四月一五日の査察当日、脱税をした憶えは全くなく、うしろめたいことがなかったので、外出を事実上実力をもって阻止する査察官の態度に心底より納得できず、真面目な気持でパトカーを呼んだのである。

原判決は明らかにこのような視点を欠き、その故に原判決は、真相に迫ろうとする迫力に欠け、「技術的判決文」に終始した感を否定し得ないのである。

三 右のような事実を総合すれば、被告人は課税要件を少なくとも確定申告書提出の際に知らなかったのであり、課税を免れるため雑所得を記載しない申告書を提出したものでないとする被告人の弁解は、真実を吐露するものとして優に認定でき、原判決が被告人の弁解を排したのは明らかに事実を誤認するものである。

四 ところで、原判決が被告人の課税要件の認識を認定した証拠は、既述のとおり三種に分別することができる。そのうちのメインたる税理士前田克彦の査察官に対する質問てん末書によって被告人の課税要件の認識を認定することが、誤りであることは、任意性特信性の存否等にもかかわるものとして、既に前記第二で詳論したとおりであるから、再論を省略して、同所の主張をここに援用する(第二、七丁ないし一六丁)。前田税理士は、その「供述書」に自ら記載したとおり「被告人に対し、課税要件を話したり指導したことはなく、また被告人から(課税要件につき)相談を受けたこともない」旨言明しており、同人の前記質問てん末書の記載を惜信することはできない。

1 原判決は、次に「被告人を担当していた山一証券阿倍野支店営業第一課長堤竹勇が、原審公判で時期やその状況を具体的に記憶はしていないが、被告人に課税要件を一、二回話したような記憶があるとして(第五、六回公判)、その後任である金井正和も、公判で、五〇回以上かつ二〇万株以上の課税要件については被告人が知っているものと思って、特に話をしなかったが、同一銘柄の譲渡株数が年間二〇万株以上の取引に対する課税については、同一銘柄の株式二〇万株以上を譲渡した際に被告人に注意を促したように思うと述べた(第三、第四回公判)点をあげて、被告人が課税要件を知っていた筈」と認定したものの如くである。

(一) しかしながら、堤竹が被告人を担当していた当時は、被告人が小野薬品株式会社の取引によって億単位の損失を受け、全く利益をあげていない時期を中心としており、このような顧客の状況の下で、課税要件を告げる必然性は全くないのである。

堤竹の証言内容も、一般論として課税要件について話をした可能性を述べたにすぎず、「石井さんにと限定されると、ちょっとはっきりあんまり印象に残っていない」と明言している(第五回三四丁以下。第六回公判一四、一五丁)。

一方堤竹の後任金井が担当した昭和六一年は、株価が高騰し、被告人が多額の利益をあげた年であったが、金井が前任者から申送りをうけた従来からの被告人の取引内容は優に年五〇回以上、二〇万株以上の課税要件を越えており、したがって金井はこの課税要件を告げなかったとしつつ、原判決指摘のように、同一銘柄の譲渡株数が年間二〇万株以上の取引に対する課税について注意を促したように思う旨供述している。しかしながら、すでに年五〇回以上、二〇万株以上の課税要件を備えている被告人に対し、今更別の課税要件を告げる必要性も必然性もないことは、弁護人の反対尋問に対し金井自身が認めるところである(第四回公判一七丁以下)。

およそ供述の信用性を判断するにあたっては、表面的な言葉によってではなく、その供述のよってきたるところ、その供述を支えるべき客観的状況などを十分斟酌し吟味を加えるべきであって、これなくして何が裁判であろうか。原判決はこのような背景事情があるにかかわらず、これに反する堤竹や金井の公判供述をなお信用するというのであれば、その理由を説示してこそ迫力ある判示というべきであろう。

(二) ところで、堤竹や金井が右のような供述が存在する由来を査察官の調査態度にさかのぼって検討してみると、その迎合性虚偽性が一層明白となる。

査察が開始された昭和六二年四月一五日当日、金井は山一証券阿倍野支店において勤務していたが、ほとんど行動の自由を奪われたまま右支店において終日査察官の厳しい追及的調査を受けた。数人体制で入れかわり立ちかわりの脅迫的言辞もさることながら、査察官の意にそわない供述をしようものなら、店のシャッターをおろす(平日店を閉めるのは直接店の信用にかかわる)と脅し、また顧客に対する課税関係の説明をしないというのであれば、会社の指導体制や営業員としての姿勢を問題とするかの如き口振り(監督官庁から睨まれたら今後の営業全般に影響をもたらす)で迫っている。証拠を隠滅してはばからない後輩もいるのであるから、調査にあたる査察官の苦労も理解できるし、調査のテクニックの必要性を否定するものではないが、本件のように一目瞭然の取引をしてきたものについては、帳簿等証票類を調査すればその実体が速やかに判明する筈であり、また営業担当者等が隠し立てをしていないことも自ら明らかとなるであろう。さすれば、右のようなきわめて不当な調査をする必要は少しもないのである。本件の場合被告人の取引の実体を逐次把握しておきながら、逆に、事件の成否の鍵として、専ら課税要件の告知を引き出すためにのみ強引に追及を続けたところに大きな誤りがあったというべきであろう。

このような状況下の調査で、金井は、当初課税要件を被告人に告げていないと素直に供述するのであるが(昭和六二年四月一五日付質問てん末書問三四)、やがて「特別報告銘柄」(株式の買い集め等により証券取引所が指定した銘柄)二〇万株以上の「売買」について申告すべき旨説明したと供述し(問四〇)、被告人の具体的な取引内容が「特別報告銘柄」でないことに気がつくと、今度は金井自身の勘違いで間違った供述をしたと謝り、同一銘柄年間二〇万株、それも売買ではなく、譲渡の場合と訂正されている(金井証言第三回公判四四丁)。これが不勉強な査察官の知識の押しつけと、査察官自身誤りに気付いての押しつけであることは、あまりにも見えすいた演出である。

(三) ところで、証券会社の営業担当者が、顧客に対し課税に関する説明を行っているかどうかについて、弁護人ひとしく、それぞれの体験と調査によって疑問を抱いたのであるが、これを山一証券阿倍野支店の実際に照らしても、顧客に対し課税要件を説明するよう指示したり、社員教育をしておらず(山田靖夫元同店支店長証言第一四回公判一一丁。桝田泰雄元支店長証言も同じ。第一三回公判七丁。)、その証拠に金井自身特別報告銘柄などの知識が不確か不十分であったことが、前述のとおり、その公判供述からも明らかになっている。

そして、バブルの崩壊とともにこれまでの証券会社の営業姿勢が次々に明るみに出て、あらためて厳しい批判にさらされているが、利益追求第一に走った営業方針下ノルマを課せられて汲々と励んだ第一線の営業担当者が、課税要件などに目もくれなかった実情は今や明白となったというべきである。

(四) このような経過の中で、検察官面前調書の供述記載をみると、それが少しも踏み込んだ形跡と吟味のない、質問てん末書の上塗り捜査であることが明らかである。

(五) かくして、さすがに原判決も「少なくとも、両名とも、被告人を担当していた際に、被告人が課税要件を当然に知っているものと考えていたことは、その供述から十分に窺われる」と結論づけるのであるけれども、堤竹や金井がいくら「被告人が課税要件を当然に知っているものと考えていた」としても、それはあくまで堤竹や金井の考えにとどまり、被告人が課税要件を認識していたことにはならないのである。

五 原判決は、最後に新聞記事を拠り所とし、「株式取引は原則は非課税であるが、一定の場合に課税されことは、広く一般に知られた事実であり、被告人が愛読していたとする日本経済新聞にもしばしばその点について触れた記事が掲載されていた。」として、被告人の質問てん末書添付の新聞記事写しをあげ、「被告人はこのような記事を一つとして呼んだことがないと弁解しているが、高齢に達しているとはいえ、現役の会社経営者であり、大規模な信用取引を継続していたばかりか、大阪府税審議会委員の肩書を持つ被告人が、全くこれらの記事を呼んだことがなかったというのはきわめて不自然である。」と判示している。

1 被告人は、原則的には毎朝日本経済新聞のほか全国紙数紙に目を通していたのであるから、日本経済新聞の前示記事すべてを「見ていない」というのは不正確な表現であって、「見たかもしれないが、内容については今全く記憶にない」というべきであろう。そのような表現のあやによって信用性を左右することは大人げない仕義というべきであるが、それはさておき、被告人がかなりの数量の株式取引を始めたのは昭和四八年ごろ、現物取引等になるともっと以前にさかのぼるものであるところ、従来の株式など有価証券に関する税制の変遷をみると、昭和二八年の大改正以来非課税となり、有価証券の移転に対し一〇〇〇分の二の有価証券取引税を課するものとされ、この原則が平成二年まで続けられている。この間昭和三六年に、右原則の例外として、年間五〇回以上かつ二〇万株以上の売買により所得が生じた場合には所得税が課せられることとなったが、被告人が右原則を当然の知識とし、誰からも教えられないまま例外的な課税要件を知らなかったとしても、それはあり得ることとして肯定されるべきである。ことに格別の利益をあげることなく、まして昭和五六年からずっと株式取引の結果がすべて損失とあってみれば、いつか利益が出ることを願いこそすれ、株式売買による所得税に関心を払う必要がなかったとしても異とするに足らない。

2 被告人が目を通した際、どの程度内容に立入って報道記事に理解を深めたかは証拠上明らかでないが、多忙な被告人としては、一応目を通すというのが習いであったものと認められる。しかる場合見出しはそれなりの関心度に応じて目にとまったとしても、原判決指摘の見出しのみでは、それが現実化して、被告人の行う株式取引に適用されるに至っているとの認識に到達するとは限らない。非課税と思い込んでいる老境一途の被告人に、あらためて非課税要件の説明がなされないかぎり認識が改まらなかったとしても不思議ではないのである。

実際問題として、その頃日本経済新聞の発行頁数は朝刊が大体三六頁、夕刊が一六頁、日曜版だけで一六頁。単純計算しても一年で一万九八一二頁である。検察官が被告人調書に添付した新聞記事は、昭和五七年二月から六二年五月ころまでの六三か月分合計約一〇万頁の中の二六頁を取出したもので、いかにも度々記事があったことを強調するが、実際はほんの一部にしか過ぎない。

他方、被告人はといえば、事件当時二〇に余る公職、各種団体の役職についており多忙な毎日で追いかけられるように生活をしており、新聞の内容を熟読することは時間的にも気持の上からも出来ない状態であった。しかも、被告人の視力は十分ではない。昭和六三年一二月では裸眼視力は〇・四であるが、左は無水晶体のため視力はなく、コンタクト装用中である。その他老人性白内障、網膜血管硬化症などの障害を持ち、新聞を読むことに困難があった。

したがって、このような新聞記事の存在によって、被告人の課税要件の認識を認定するのは無理である。購読新聞により課税要件を認識し得ただろうということと、被告人が認識していたこととは別個の事実である。認識していたというのなら、それなりの捜査を尽くすべきであったのに、それがなされていないのである。

なお、原判決は、被告人が大阪府税審議委員であったことを指摘し、当然課税に関する記事に関心を持っていた筈としているが、被告人は、委員として、阿倍野府税事務所での審議会に、年二回参加し、遊興飲食税等の収入状況について報告と説明を聞くというだけであって(被告人の昭和六二年八月一一日付質問てん末書)、いわば府税の納税協力を推進する役割を担う集まりを形成していただけで、租税全般にわたる知識を要するものではなく、多分に名目的ないし名誉職的なものであった。このような肩書の故に被告人が租税の動向について特別の関心をもって新聞を見ていたとするには期待が過ぎるものである。

六 仮に、被告人が過去の古い時期に、日本経済新聞の記事に目を通していたとしても、課税要件の記事につき十分な理解と認識を得ていないときは、実際の知識として税申告時の行動基準とはなり得ない。

七 以上のとおり、原判決があげる証拠は、いずれもその証明力に大きな疑問があるか、ないしはそれ自体きわめて不十分な内容のものであって、それらをいかに総合しても被告人につき課税要件の認識があったことを認定することはできない。

また、原判決は、被告人が過去に課税要件を知っていたと認定し、そのことから直ちに、確定申告書の提出行為に逋脱の犯意ありとするが、仮に過去において何らかの機会に課税要件を知り得たとしても、本件被告人が所得税確定申告書作成提出の際に、逋脱の犯意を有していたとする証拠はない。むしろ株式取引の実態や被告人の生活態度等(本書一八丁裏から二一丁表まで)から判断すれば、少なくとも、確定申告書作成時には課税要件の認識はなく、また、所得税逋脱の意思もなかったというべきである。

八 申告書提出当時、課税要件を知らなかったとすれば、被告人には、本件における逋脱の犯意がなかったのであるから、逋脱の意思があるとした原判決は事実を誤認しており、それが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

ところで、課税要件の不知は、法律の不知即ち法律の錯誤でであるから犯意を阻却しないとする見解もあるやと思われる(但し、原判決はこの点について何等言及していない)。しかしながら、被告人においては、単なる法律の不知ではなく、株式売買益については原則非課税であって、個々の取引における有価証券取引税の納付によって納税義務を果たしたものと信じていたものであり、かかる場合が法律の不知ではなく、法律要件該当事実の錯誤として犯意を阻却するものであることは、本件逋脱の犯意に関する渥美東洋教授の鑑定書に論述されているとおりである。

その二 株式配当所得の一部が被告人の長女の所得に帰属するのにかかわらず、すべて被告人の所得と認定した事実誤認

一 原判決は、被告人の昭和六一年分の総所得として、配当所得二九四万二九九七円全額について、株式売買益による雑所得七億八二二八万一七二七円と共に被告人の逋脱所得として認定した。

しかしながら、右配当所得のうち、石井紀美子名義の三共株式会社の配当金九万七五〇円については、被告人の所得を構成するものではなく、被告人の長女石井紀美子の所得に帰属するものであって、被告人の配当所得額の判断につき原判決は明らかに事実を誤認している。

二 即ち、被告人は、自らの取引口座で購入した三共の株式一万株を、昭和五七年九月二九日に石井紀美子に名義書替えしている。これは、被告人が、石井紀美子に贈与したものである。

被告人は、昭和五〇年三月に死亡した先妻石井多計子の相続において、同女が紀美子に相続させるよう遺言した五万株以上の近鉄の株式を、近鉄の関連会社である大日本土木と被告人の経営する興亜コンクリート工業株式会社が取引関係にあるため近鉄の株式を保有しておくと営業上有利であると考えて、被告人名義に書替えたので、紀美子に対しては常々その埋め合わせをしなければならないと気にしていたところ、昭和五七年四月に現在の妻敬子を入籍するに際し、右三共株式会社の株式一万株を紀美子に名義を書き替えてその所有として、けじめをつけたものである。そして、現に三共株式会社からの配当金は、石井紀美子が取得しているし、被告人名義の三共の株式を処分しても、紀美子名義の三共の株式は処分していない(被告人質問第一八回公判調書一四丁以下、第二一回公判五丁以下。弁四七号証(調査表)。弁四八号証(配当金支払明細表)。弁六五号証(証明書)。なお、多計子の不動産についても、紀美子に相続した事実につき弁六六号証。この点につき、更に控訴審で立証する予定)。

右のとおり、紀美子名義の三共の株式は名実ともに紀美子の所有であって、その配当金も紀美子の所得である。

なお原判決は、右配当金は被告人の所得を構成するものでない旨の主張に対し、何らの理由を示さず、被告人の所得である旨認定したところである。

三 以上のとおり、原判決は、被告人の株式配当所得の金額について、事実を誤認しており、それが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決はこの点においても到底破棄を免れない。

第四 控訴趣意の第三点――法令適用の誤り

その一 株式取引によって生じた所得――雑所得について、被告人の所得税申告書の提出行為及びこれを確定させた行為は、所得税法第二三八条一項にいう「偽りその他の不正行為」に該当するものではない。

原判決は、「被告人は、・・・自己の所得税を免れようと企て、昭和六二年分の実際総所得金額が七億八九三一万四四八〇円あったのに、株式の継続的取引による雑所得の全部を除外するなどの方法により所得の一部を秘匿して、昭和六二年三月一六日所轄阿倍野税務署長に対し、昭和六一年分の総所得金額が三三八万七七五六円で、これに対する所得税額は源泉徴収税額を控除すると二七万六〇一〇円の還付を受けることになる旨の内容虚偽の所得税確定申告書を提出し、・・・合計五億三八五八万七一〇〇円を免れた」旨判示し、所得税法第二三八条一項、二項を適用して、被告人に懲役二年六月(執行猶予三年)及び罰金一億円に処した。

被告人は、株式売買益に対する所得税課税要件について知らず、株式売却の際課税される取引税の徴収により株式取引に関する税はすべて終わっている(そのかわり、損失が出たときも、他の所得から控除されない)ものであると信じて疑わなかった。

その旨の主張に対し、原判決は、争点に対する判断四において、(結論として)「前田税理士の査察官に対する供述のほか堤竹、金井の供述、前記のような新聞報道の事実等によれば、被告人は課税要件を認識していたと認めざるを得ない。そして被告人は、雑所得の全部を除外することにより所得金額が過少であることを認識しながら所得税確定申告書を税務署長に提出したのであるから、被告人にはほ脱の意思があり、その行為が所得税法第二三八条一項にいう『偽りその他不正行為』に該当することは明らかである」と判示して有罪の判決をした。

原判決の認定する被告人が株式売買益に対する所得税課税要件を認識していたとする点、所得税逋脱の意思があったとする点についての判決の誤りは、既に事実誤認に関する弁護人の主張において詳述しているので再び繰り返さない。しかし被告人が、かりに百歩を譲り、確定申告時において原判決のいうように課税要件(例えばその年分に五〇回以上及び二〇万株以上の株式売買益)を何らかのきっかけにより知っていたとの仮定の上に立っても、本件のような事情のものでは、被告人の昭和六一年分の当該所得税確定申告書の提出が所得税法第二三八条一項に規定する偽りその他不正の行為に該当せず、同法条を適用し被告人に有罪の判決をしたのは法令適用を誤るものといわなければならない。

一 被告人の株式取引は、既に述べたとおり何らの偽りや不正の行為を行わず、一瞥して取引の主体、帰属、取引結果が明らかであり、そこには所得税を回避するための何らの工作も見出し得ないし、税務当局の調査課税を困難ならしめるようなものはない。もしも被告人がこのような取引の状況下で、当該所得税確定申告書を税務署長に提出しなかったとすれば、仮に所得税を免れる意図があったとしても所得税逋脱犯は成立せず、せいぜい不申告罪の成否が問題となるのである(昭和三八年二月一二日最高裁第三小法廷判決、刑集一七巻三号一八三頁)。しかるに、給与・不動産所得を記載した所得税確定申告書を提出することにより、(税務当局は、被告人が給与・不動産の所得があることを自ら申告するので、被告人に対する所得調査は確定申告書を提出しない場合よりも実際上容易となると思われる)、何故原判決のように所得税逋脱犯を構成することになるのだろうか。換言すれば、被告人の株式売買益他の所得については、所得税申告書を全く提出しなかった場合と、雑所得欄を空白として給与・不動産所得を記載して提出した場合とは、実質的には雑所得を申告していない点では、同一の法的評価を受ける行為であるのに、結果の均衡を失していないであろうか。

一体、税法体系や税務行政全体の中で、被告人のような事例に対し、逋脱犯というような最も非難度の高い刑罰をもって臨むことが予想されていたのであろうか。本件の如き事案まで逋脱犯として処罰された前例は、弁護人の知り得る範囲内では存しない。

二 租税に関し、自己確定申告制を採り、一定の悪質な逋脱犯に科刑する立場を我が国に先行して採用しているアメリカにおいては、行政罰を含む行政的諸制度によって、低費用で確定申告を正確にさせ、徴収を正しくさせ、年間の追加税収を得る方法を講じて実績をあげており(行政罰の事例は、毎年数千件にのぼり、年間一〇億米ドルを超える金額が徴収されているといわれる。)、刑事制裁は、きわめて限定的である(財務省の統計によると、年平均二五〇〇人しか刑事訴追されていない)。即ち、租税法に定められている命令や禁止に対して、刑事罰を科しうる場合は、逋脱目的の行為が、社会倫理感や道徳感からみて、批難に価する度合いが、相当に高い場合に限られなければならないとされており、主要租税犯の成立につき、道徳的非難度の強いものに限定する要件が具体的に要求されている。その要件の第一として、「租税・・・・又はその納税を逋脱し又は無為にする何らかの行為や態様で、意図的に逋脱、又は租税と納税を無為にすることを企図した者」と定められ、ここに「意図的に」というのは、判例上「法律上の義務を知りながら、任意に意図的にその義務に違反する」ことであり、さらに「悪い目的で行為して」とか「悪い動機で」と解すべきものとされている。また、要件の第二として、自然犯や法定犯の場合の「厳格責任」を課す場合に比較して、それらの場合と違って、租税義務と逋脱犯を定めた法律を知っていることが求められている。即ち、逋脱犯については、法の不知は刑事責任を害し、刑事責任を否定するとされているのである(以上渥美東洋教授鑑定書)。

三、アメリカにおけるこのような逋脱犯に対する特別の配慮は、我が国においても実定法上はもとより、最高裁判所の判例にも生かされている。

1 逋脱犯の構成要件をみると、まず「偽りその他不正の行為により」という行為態様についての絞りがあり、次に「第一二〇条第一項第三号(注 確定所得申告に係る所得税額)(中略)に規定する所得税を免れる」と定められていて、納税についての具体的義務を認識することが要件とされている。これを被告人の場合についてみれば、被告人の前述のような株式取引行為やその売買益について確定申告しなかった一連の行為が、果して「偽りその他不正の行為により」に該当するかどうか、また株式取引について、すでに取引税によって納税ずみと錯誤し、課税要件を知らなかったことが法律上の評価において、納税の具体的義務を認識しており、所得税を免れる意図、即ち逋脱の意思があったと言えるかどうかが問題となる。

2 右のような逋脱犯の成否に関する最高裁判所の判例を検討してみると、そこには明らかに刑事罰としての逋脱犯の位置づけを厳格に解釈し運用すべきであるとする配慮が生かされている。

まず、旧法時の事犯ではあるが、「詐欺その他不正の行為」に当たるか否かに焦点をあててみると、

(1) 昭和二四年七月九日最高裁第二小法廷判決(刑集三巻八号一二一三頁)は、「現行法第六九条第一項は詐欺その他不正の行為によって所得税を免れた行為を處罰しているがそれは詐欺その他不正の手段が積極的に行われた場合に限るのである。それ故もし詐欺その他不正行為を用いて所得を秘し無申告で所得税を免れた者はもとより右規定の適用を受けて處罰を免れないのであるが、詐欺その他の不正行為を伴わないいわゆる単純不申告の場合にはこれを處罰することはできないのである。」と判示している。この判旨は、所得税逋脱の意思を伴った確定申告書を提出しない行為だけでは、所得税逋脱罪は成立しないとするものと理解されているが、判示中「詐欺その他不正行為を用いて所得を秘し」とされている点が注目される。

(2) 昭和三八年二月一二日最高裁第三小法廷判決(刑集一七巻三号一八三頁)は、「所得税法六九条一項によって『詐欺その他不正の行為』により所得税を免れた行為が処罰されるのは、詐欺その他不正の手段が積極的に行われた場合に限るのであって、たとえ所得税逋脱の意思によってなされた場合においても、単に確定申告書を提出しなかったという消極的行為だけでは、右条項にいわゆる『詐欺その他不正の行為』にあたるものということはできない(昭和二四(れ)第八九三号、同年七月九日第二小法廷判決、集三巻八号一二一三頁参照)。」と判示している。本判決の基礎となった事実関係を第一、第二審各判決によってみると、犯罪事実のうち、第一は、ことさらに収支欠損である旨の虚偽の収支計算書を提出したものであって、右最高裁判決において破棄差戻しの対象とならなかったもの(即ち不正の手段が積極的に行われている)、第二、第三は、いずれも単に、確定申告書を提出しなかったもので破棄差戻しの対象となったもの(積極的行為がない)である。そしていずれも、被告人において、資材の販売、製材等の営業により多額の利益があがり、該利益は、工場の新設、住居の新築、トラック数台の購入、預金の急激な増加等の形をとって被告人の財産に帰属していたもので、主として記憶によって取引をなし、貸借対照表、財産目録はもとより、日記帳、元帳等の帳簿を作成していなかったものである。

なお、第二の事実の年度においては、農業所得のみを申告しているが、事業遂行による右所得の不申告とあわせて全体として過少申告とせず、右事業にかかる所得のみを不申告として取り上げ、評価判断されていることは、石井被告人に対する本件の確定申告を評価するに十分に参考にすべきものと考える。

(3) 昭和四二年一一月八日最高裁大法廷判決(刑集二一巻九号一一九七頁)は、「所得税法、物品税法の構成要件である詐欺その他の不正の行為とは、逋脱の意図をもって、その手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作を行うことをいうものと解するのを相当とする。…(中略)…所論引用の判例(注、前記(1)(2)など)が不申告以外に詐欺その他不正の手段が積極的に行われることが必要であるとしているのは、単に申告しないというだけではなく、そのほかに、右のようななんらかの偽計その他の工作が行われることが必要とする趣旨を判示したものと解すべきである。」と判示している。本件の事実関係をみると、物品移出の事実を別途手帳にメモしてこれを保管しながら税務官吏の検査に供すべきを正規の帳簿にことさらに記載しなかったこと、他に右事実を記載した帳簿もなく、物品複写簿、物品受領書綴または納品書綴によっても右移出の事実が殆ど不明な状況になっていたことが認められると指摘されている。

(4) 以上のような最高裁判例をその事実関係に即してみてくると、逋脱の意図があっても単なる不申告だけでは逋脱犯を構成せず、不申告とあわせて、税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作、即ち虚偽の計算書を作成したり、真実を反映する裏帳簿等がありながらそれを秘匿する目的で正規の帳簿にことさら記載しないなどの作為不作為を伴っている場合に、これを全体として考察し、構成要件該当性を認定すべきものとしているように考えられる。

しかるところ、昭和四八年三月二〇日最高裁第三小法廷判決(刑集二七巻二号一三八頁)が「所論引用の当裁判所昭和四二年一一月八日大法廷判決(刑集二一巻九号一一九七頁)は『所詮所得税、物品税の逋脱罪の構成要件である詐欺その他の不正行為とは、逋脱の意図をもって、その手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作を行うことをいうものと解するのを相当とする。』とし、したがって、かかる工作を伴わない単なる所得不申告は、右『不正の行為』にあたらない旨判示しているところ、真実の所得を隠蔽し、それが課税対象となることを回避するため、所得金額をことさらに過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を税務署長に提出する行為(以下これを、過少申告行為という)自体、単なる所得不申告の不作為にとどまるものではなく(当裁判所昭和二五年あ第九三一号同二六年三月二三日第二小法廷判決・裁判集刑事四二号登載参照)、右大法廷判決の判示する『詐欺その他の不正の行為』にあたるものと解すべきである。」と判示し、本件の上告趣意が「およそ詐欺、不正の行為には確定申告書を提出するに当たり、その事前の工作として何等かの不正の行為があって、それと一体性をもたらさなければならないものを、只単に確定申告書にのみ記載しない過少申告の事実だけによるもの」を詐欺その他の不正の行為と認定したのを不当とした点にあったことから、事前の工作の有無を問わず、過少申告行為自体が、ひろく「不正の行為」に当るとされる傾向にあるやに窺われる(検察官も石井被告人に対する論告においてこの立場をとっている。)。

右事件の第一、第二審判決によれば、問題となった被告人の行為は、「会社に於いてその所得として所轄税務署長に申告しない所謂簿外金から出金されたものであった為め、若し被告人が自己の真実の所得を有の侭に所得税確定申告書に記載すれば累が会社に及び、今後会社から受領し得べき筈のものが受領できなくなる虞れが有り、斯くしては会社再建の為に捧げた自己の努力も水泡に帰することを憂え、敢へて真実の所得を隠蔽し、所得金額及び之に相応する所得税額を殊更過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を所轄税務署長に提出した」ものである。

右事実関係からすれば、すでに出金の根拠となった会社自体(被告人が再建に尽力したという)に簿外金とするなどの不正の行為があり、そこから支出されたものを被告人において収支明細なきまま秘匿していたことが推認されるのであるから、このような事実関係に支えられた過少申告行為に「不正の行為」ありと評価されてもやむを得ないと思料される(つまり、所得を過少に申告することにより税務課税・徴収が著しく困難となる)とともに、本件判示にいう「ことさら」もこのような事実関係があればこそ首肯される文言というべきであろう。なお、ここで特に注目したいのは、前記(2)の判例が農業所得のみの申告をし、事業所得の申告をしなかった場合に、これを全体として過少申告とせず、事業所得については不申告として評価しているのであるが、本件の場合は、同じ会社からの所得について、会社の簿外金から支出された分を除外した点で右(2)の場合と異なるものと考えられる。これらの点は、(2)で述べたとおり(本書三六丁裏から三七丁裏)、石井被告人の本件申告行為を、過少申告とみるか、不申告とみるかを検討するに当たり無視できないところである。右の判決に従えば、株式売買益-雑所得については、不申告として評価すべきである。

ただ本件(4)の事件の場合、同被告人の過少申告行為が、(3)の判例にいう「その手段として税の賦課徴収を不能若しくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作」と評価し得るものかどうか判例集登載の判決文自体からは必ずしも容易に判断し難い点もここで指摘しておきたい。そして、石井被告人の場合その行為のいずこにも、税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作がないことは、すでに詳論したとおりである。

(5) 重加算税に関する判決であるが、企業経営者が全く記帳せず、納税すべき税額を過少に記載した納税申告書を提出した場合に重加算税の対象となるかどうかが問題となった事案であるが、これについて納税者がことさらに過少にした内容虚偽の納税申告書を提出して、正当な納税義務を過少にして不足税額を免れた場合には、隠蔽又は仮装した事実があるとして重加算税を課することが相当とする判例(昭和五二・一・二五最高裁判決、昭和五一年行ウ九〇号事件)がある。この事件において弁護人がその上告理由で、確定申告書の内容が虚偽過少というだけで重加算税の対象となるとの原審判決の見解では、過少申告加算税が加算される場合が殆どなくなるので、国税通則法六八条一項の解釈を誤るものとの主張に対し、最高裁は「原審の確定した事実関係のもとにおいては…原審の判断は正当」として是認している。要するに虚偽過少申告それ自体を不正の行為とは断定せず、事案ごとに虚偽過少申告が不正行為になるかどうかを判断している立場をとっていると思われる。(税務訴訟資料)。またこの事件の解説として、本判決での「ことさらに過少」というのは、単に無記帳又は無記録というのではなく、積極的に記帳せず又は原始記録や証拠書類を保存せず又は証拠書類を廃棄し若しくは調査担当者に提示を拒否する等の行為があることを指すものと考えるとしている(『DHCコンメンタール所得税法』三六三八頁、第一法規)。重加算税に関する「ことさらに過少」の解釈は、当然逋脱犯の「偽り不正の行為」の判決の「ことさら」にも共通するものとして考えるべきであると思料する。

(6) 右のような、裁判例を検討すると、過少申告行為が「偽りその他不正の行為に該る」とするためには、単に過少申告の行為のみでなく、逋脱のために「ことさらに」過少申告をする行為であり、「ことさらに」の実体は、「税の賦課、徴収を不能もしくは困難とするような偽計その他の工作」がなされていたかどうかの、全体としての可罰的な違法性が認められる事案に限ると考えるべきである。

換言すれば、一般に、過少申告の場合は、所得申告額が実際所得よりも過少であることの認識は通常の場合納税者が有するのであるので、過少申告行為それ自体をすべて「偽りその他不正の行為」に該るとすれば、過少申告加算税が適用される場合と重加算税(従って殆どの場合は逋脱犯も成立)場合の区別が全くつかなくなるのである。つまり、「偽りその他の不正の行為」の構成要件としての絞りが無意味となるからである(租税判例百選第二版(別冊ジュリスト七九号)二二八頁。昭和四八年度重要判例解説)。

(7) そして何よりも、過少申告行為自体が問題となったこれまでの租税事件は、いずれも営業所得やその他の事業所得などであり、多数の事業活動に伴い発生する所得のうち一部を除外し一部だけをことさらに過少に申告するとか、あるいは所得の種類のうちの一種類をことさらに申告から除外するなどしている事案にかぎられていると見受けられる。

このような事業等遂行による所得獲得行為に対しては、これらの取引の一切を明らかにするような記帳ないし証憑書類の存在しないことが常態であるので、このような場合の過少申告は、それ自体が判例のいう「税の賦課徴収を不能もしくは困難」とする可罰的な違法性とすることができ、従って逋脱罪に該当することになると思われる。つまり、事業所得などの全部の所得を把握するためには事業活動の全般にわたる調査をし、その収入源を調べなければならず、まさに賦課徴収が不能、困難の事態を招来するものといわなければならない。

しかし、本件の被告人の場合の過少申告は、後述するように、このような事案とは根本的に異なるものであるので、可罰的違法性を認めるべきでなく、逋脱罪を構成するものでないと信じる。

四 弁護人は、被告人の行為が全体として「偽りその他不正の行為」に該当する可罰的違法性のないことを以下具体的に論証することとする。

1 被告人は、昭和六一年分の確定申告書に不動産所得と給与所得を記載し、これを税務署長宛申告している。

確定申告書の所得記載欄には、なる程、営業所得から始まり雑所得まで八種類の所得につき記入すべき欄がある。被告人は、株式取引益を記載すべき雑所得欄には記載していない。これは、何回も繰り返すように、株取引益にかかる課税要件を知らず、有価証券取引税の支払ですべて課税は終わっているものと信じていたことに由来するもので、逋脱の意図をもって記載せず申告しなかったのではないが、仮に原判決の認定のように被告人に所得税課税要件の認識があったとした場合において、過少申告書の提出行為が「偽りその他の不正行為」に当るのかである。

2(1) 被告の株式取引は証券会社一社に限られ、しかもそのうちの一店舗のみの取引であること。

(2) 実名取引であり、仮名、借名等一切ないこと。元帳をみれば一目瞭然であり、売買益の所得を隠す余地のないこと。

(3) 資金の出入りの流れも銀行二行に限られ、銀行取引も被告人実名であり、裏預金にしたりしておらず、現有財産が明らかであること。

(4) 株式配当金も被告人の銀行の口座に入金され、配当金の受入も明瞭であること。

(5) 株式売買のうち、現物取引により株式を保有している場合には、株式に対する配当金が振込又は配当金受取証が送付されるが、それには既に二〇%の源泉課税がなされ、被告人名義による源泉徴収の通知が所轄税務署長宛になされており、被告人の株式取引は税務署に明白であること。

3 このような取引のもとでは、被告人の株式売買の結果は取引先の証券会社の顧客勘定元帳に総て記帳されているので、その記帳を一瞥すれば取引の全貌が余すところなく把握され、従ってその利得または損失もすべて直ちに把握し得るのである。一般に株式取引による所得の課税徴収を困難にする方法は、他人名義や家族名義を使用するとか、仮名取引によることにするとか、あるいは取引先の証券会社を数店舗にするなどして、株式売買の帰属や売買回数等を不明にする以外には方法はないのである。

まさに株式取引による所得の把握は、他の事業活動によって生ずる利益とは本質的に異なる点があるというべきである。従って、株式取引の態様に例えば他人名義で行うとか、その回数を胡麻化すなどの不法や違反のやり方をしていない以上は、株式売買益を確定申告書に雑所得として記載せず、他の所得のみを申告し、全体としての所得が過少となったとしても、それは単なる過少申告になるにとどまり、国税通則法第六五条の過少申告加算税の対象となるに過ぎないと信じる。つまり、本件のような場合における過少申告は、税の賦課、徴収を困難にするものとは言えず、単純な過少申告と比べて可罰的違法性が高いということはできず、結局所得税法第二三八条一項にいう「偽りその他不正の方法」に該当しないというべきである。

その二 配当金について

一 被告人は配当所得について、少額により申告が不要な場合を除き、すべて源泉分離課税を選択することとし、被告人の唯一の取引先であり株式保有状況を把握している山一証券阿倍野支店の担当者にその旨依頼し、かかる源泉分離課税に金額の制限があるとは知らなかったので、総ての配当所得につき源泉徴収されることにより課税は完納し、確定申告の要なきものと考えていたのである(第一八回公判調書一一丁裏。なお被告人の昭和六一年七月六日付質問てん末書問一二に対する答。外)。

二 ところが、実際には王子製紙・ナカバヤシ・山一証券・四国電力の四銘柄の配当金については源泉分離課税の選択手続がなされておらず、また、年間の配当が五〇万円を超えていた奥村組・旭コンクリート・大阪ガスの配当金については、源泉分離課税の選択はできず確定申告に加えるべきであるのに、記載はなされていなかった。これは、既に述べたとおり、分離課税手続をとっていたものと信じ、またそれで申告を要しないと思っていたことにより確定申告時に申告をしなかったものである。分離課税選択の申告ができていたかどうか、分離課税選択の対象となる配当金かどうかについて、十分な確認をしなかったことによる被告人の落ち度はあるにせよ、被告人の株式所有関係をすべて把握し、被告人からも配当金の分離課税について手落ちなく手続をしてくれるような依頼されていた証券会社の担当員もまた責められるべきであると思われる。

被告人は、ことさらに分離課税選択の申告を怠ったり、また一部の配当金について総合課税から免れようとする意思はなかったのであるから、分離課税選択洩れ等による配当金二八三万一五一三円(国税局調査額から三共の配当金を差し引いた金額)について、確定申告書の配当所得欄に記載せず、申告しなかったことは、脱税の犯意(故意)がなく、逋脱犯を構成しないのは明らかであり、また確定申告書の提出行為が偽りその他不正の行為に該当するものでない。この点に関し、原判決が配当所得を含めて逋脱犯として有罪の認定をしたのは、法令の適用を誤るものである。

三 右数銘柄の株式の配当金について分離課税選択をしなかったことの認識があるとの前提で検討しても、以下のとおり、被告人は税を免れたとはいえない。

確定申告書に記載すべき配当所得二九四万二九九七円(正しくは前述のとおり二八三万一五一三円であるが、便宜的に検察官主張とする)を配当所得として所得税額を試算してみると(但し株式売買益は除く)次の通りの計算となる

(1) 所得金額

不動産所得 △一、六五〇、九五六円

配当所得 二、九四二、九九七円

給与所得 五、〇三八、七一二円

計 六、三三〇、七五三円

(2) 所得控除額

社会保険料控除 三三六、九二〇円

生命保険料控除 五〇、〇〇〇円

寄付金控除 四九〇、〇〇〇円

老年者控除 二五〇、〇〇〇円

扶養控除 三三〇、〇〇〇円

基礎控除 三三〇、〇〇〇円

計 一、七八六、九二〇円

(3) 差引課税所得金額 四、五四三、〇〇〇円

(一、〇〇〇円未満切捨)

(4) 右の所得税額 七六四、二五〇円

(5) 配当控除額 二九四、二九九円

(6) 差引所得税額 四六九、九五一円

(7) 源泉徴収税額 一、〇六四、一〇五円

内訳 配当所得分 五八八、五九九円

給与所得分 四七五、五一〇円

(8) 差引納付税額 △五九四、一五四円

このように、配当所得を確定申告書に記載して確定申告をした場合、還付を受くべき金額が五九万四一五四円となり、被告人が配当所得がないものとして提出した確定申告書の還付金額二七万六〇一〇円を超える金額となり、被告人に有利となる。これは株式配当時に既に二〇%の配当源泉課税がなされていることによるのである。

勾論被告人は、配当金を分離課税とするか確定申告とするか、税金としてはどちらが有利であるかなどと検討をした上で事に処していないことは明らかであるが、右の計算は、捜査官が被告人の脱税の犯意を何とかして引き出そうとしたことの無意味さを出すために、弁護人が税理士に委嘱して敢えて試算してみたのである。

この意味においては、こと株式配当に関する限り、被告人が税を免れたとは云い得ないといわなければならない。

この点に関する配当所得の過少所得申告をもって、株式売買益についての逋脱の意思の認定を及ぼすべきではないのは当然というべきである。

第五 控訴趣意の第四点――量刑不当

一 原判決は「被告人を懲役二年六月と罰金一億円に処する。この罰金を全部納めることができないときは、二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。この裁判確定の日から三年間懲役刑の執行を猶予する。」旨の判決を科した。

弁護人は既述のとおり、本件被告人には逋脱の犯意がなく、「偽りその他不正の方法」による行為がないとして無罪を主張するものであるが、不幸にして右主張が容れられず、有罪であるとしても、右量刑は重きに失し不当であって、到底破棄を免れないと考えるものである。

二 検察においては、基準検察の幣の克服が唱えられて久しい。しかしながら、これを脱税事犯に限って概観するとき、脱税額のみを基準とし、それぞれの事犯の個別事情や被告人についての情状をほとんど無視して求刑しているとの観を否定し得ない。即ち、被告人のように脱税額五億円余にあっては、懲役刑は二年六月がいずこにおいても相場となっており、所得税法違反にあっては罰金一億五〇〇〇万円の併科、法人税法違反にあっては別に法人に対しほぼ右と同額の求刑をしているのが実情である。したがって、脱税額によって、弁護人も予測通りの求刑に当面することとなる。これでは基準検察そのものというべきであって、寛厳の趣きを中心とした検察行使の深慮を感ずることができないのが残念である。

三 検察官の右のような姿勢に対し、裁判所は、時に量刑おいて独自性を発現する。弁護人竹村の関与した事件の最近の例をあげても

〈1〉 脱税額一六億円余の地方税法違反(軽油引取税の不納付)

一審 求刑懲役四年 判決 懲役一年六月

二審 弁護人控訴 判決 原判決破棄 懲役二年六月

執行猶予四年

〈2〉 脱税額一五億円余の法人税法違反

一審 求刑懲役三年六月 判決 懲役二年 罰金六〇〇〇万円

弁護人控訴中 (1日五〇万円換算)

〈3〉 脱税額五億円弱の法人税法違反

一審 求刑懲役二年六月 判決 懲役一年六月

弁護人控訴中

などがある(控訴審において立証予定)。

〈1〉は、毎月納付すべき軽油取引税額を実際の取引額に応じ申告していたものの不納付に至った事案で、一審段階では八億円余、二審段階ではほぼ全額近く納付した。〈2〉は、逋脱率役四〇パーセントで、本税及び附帯税等すべて納付済みである上、公共的色彩の強い事業を拡大し、事件後においても右納税のほか法人税等二〇〇億円を超える納税実績を果たしてきた。〈3〉は、マンション等の分譲に新機軸を展開して商圏を拡張した被告人が脱税に当たり、架空経費の計上に架空の会社を介在させた単純な事犯で、本税及び附帯税等すべて納付済みであった。右〈2〉〈3〉については、被告人の生立ちや生活環境、その手腕力量並びに会社事業の現状に照らし、何故に、贖罪の道を施設外における社会貢献に見出すことなく、刑務所に収容して反省の日々に閉じ込めねばならないか、の点を中心に、弁護人としての刑政の本旨を問うて控訴中である。

四 本件において、検察官の求刑は懲役二年六月及び罰金一億五〇〇〇万円であった。被告人の生立ち、年齢、その生活環境、社会への数々の貢献、そして何よりも本件株式取引の態様に何一つの秘匿隠蔽工作がなく、一見すれば直ちにその実体が明らかになるという実情にありながら、何故に懲役二年六月に価するというのであろうか。そこには犯情や情状に対する量刑上の考慮はなく、正に脱税額を基準として、ほとんどそれのみによって求刑を算出した感がある。

求刑の罰金額についても、単純に脱税額の三分の一という従来の慣行にのみ依拠したのではなかろうか。

五 原判決は、右求刑に比すれば、懲役刑において求刑通り、しかしながらこれに執行猶予を付し、罰金刑は五〇〇〇万円減額の一億円であった。

1 まずその量刑の理由をみると、「本件は、主として株式取引により昭和六一年中に合計七億八九〇〇万円余りの所得をあげた被告人が、株式取引による雑所得の全部を除外するなどして申告し、五億三〇〇〇万円余りの所得税を脱税した事案である。単年分の脱税額としてはまれにみる高額であるばかりか、所得税の還付さえ受けていたものであり、納税義務に著しく違反する脱税行為というほかない。被告人は人権擁護委員、民生委員、大阪府税審議会委員等の多数の公職を歴任し、社会において他の模範となるべき身であるのに、このような行為に及んだものであって、一般社会に悪影響を及ぼしかねない相当に重大な犯行である。」と断じつつ、一方で、「しかし、他方、被告人は、仮名や借名の株式取引口座を使用するようなこともなく、単一の実名口座を使用して株式取引をしていたものであり、事前に所得を秘匿する工作をした形跡は見当たらない。その手口も単純なものにすぎず、株式取引の当初から脱税を企図していたとまでは認め難い。さらに、本件脱税に関し、本税、附帯税合計七億一八〇〇万円余りが一応納付されていること、被告人は、数十年前から赤十字社、郷里の西条市、大阪市等の公的機関に合計数億円にも上る寄付を継続するなど篤志家として知られ、従来から事業等により得た利益の一部を社会に還元するとともに、前記公職等を通じて社会に対する貢献を重ねてきたことなど被告人に有利な事情も多く認めることができる。」と認定し、「これらの事情を総合考慮すれば、被告人を主文の刑に処し、懲役刑については、その執行を猶予するのが相当と判断する。」と判示している。

原判決が一方で、「被告人は人権擁護委員、民生委員、大阪府税審議会委員等の多数の公職を歴任し、社会において他の模範となるべき身であるのに、このような行為に及んだものであって、一般社会に悪影響を及ぼしかねない相当に重大な犯行である。」としつつ、他方において、「被告人は、数十年前から赤十字社、郷里の西条市、大阪市等の公的機関に合計数億円にも上る寄付を継続するなど篤志家として知られ、従来から事業等により得た利益の一部を社会に還元するとともに、前記公職等を通じて社会に対する貢献を重ねてきた」と認定して、被告人の一貫した生きざまを、悪しき情状と良き情状とに分裂して「総合考慮」されているところがいかにも不自然かつ矛盾している感じを強くせざるを得ない。被告人は、その生涯を通じ、特に晩年に至るに従って、「多数の公職を歴任し」て「社会に対する貢献を重ね」、「数十年前から………公的機関に合計数億円にも上る寄付を継続する」(弁一七ないし三二など)のみならず、私的機関等にも惜しみなく多額の寄付を行い、郷里においても、事業地においても、住居地においても、ひろく「篤志家として知られ」、その信望が厚く、「社会において他の模範となるべき身」であり、現実に正しく他の模範となっていたのである。弁護人は、然るが故に、幾多の脱税の事犯者に随伴する「事前に所得を秘匿する工作」が被告人に皆無であることとあわせ、被告人に脱税の意図など毛頭なかったと確信し、そのように本件の実体を把握することによってこそ、被告人の人間とその真実に合致するものと考えるのであるが、それはさておき、被告人の情状を情状として右のように理解するならば、懲役刑に執行猶予が付されるのはその年齢に照らしても相当というべきであるものの、懲役刑の刑期そのものが重きに失すると評せざるを得ない。単に脱税額に依拠した検察官の求刑に引きづられたのではないか(俗な言い方をすれば、検察官の顔を立てた)との感を否定し得ない。

2 特に量刑中罰金額については問題を指摘せざるを得ない。

この種事犯に罰金刑が併科される目的は、事犯によって得た利益を剥奪するにあるとされ、修正申告の上本税のほか附帯税等を納付させる行政措置とは別異であると説かれている。そしてこれらのいわば経済的制裁が行われる根底には、そもそも脱税として捕捉され起訴される額が、脱税額のすべてではなく、相当部分が事犯者に残されているとの考えが秘められている。

ところが、本件被告人の場合は、何らの工作を伴わないありのままの株式取引であるから、その利益の捕捉率は一〇〇パーセントであり、通常の事犯のように秘匿されたままで捕捉されない部分があるというのと明らかに異なっている。その上での修正申告であり、本税附帯税等七億一八〇〇万円余りが納付済みであるから、追加納付の地方税を加えれば、昭和六一年中の所得合計七億八九〇〇万円余りのほとんどが残っていないということとなる。まして、法人の場合に認められる損益通算制度が適用されない被告人の場合は、真近過去そして現在に至る数億円にものぼる損失があり(被告人の公判供述、弁三四など)、この年分のみバブル経済のはしりの影響により被告人は利得を出すことができたにすぎない。これらを通算すれば、利益は全く無いのである。このような実情に照らせば、被告人に対し、行政罰のみで十分であり、被告人からその利益部分を剥奪するという罰金刑はその目的を達するに由なく、懲役刑のほかに新たな苦役を科するに等しいと言わなければならない。

被告人に対し、一億円の罰金刑を併科するのは余りにも重きに過ぎるものである。

3 罰金刑の併科について、本税その他附帯税を追加納付したこととの関連につき、なお考慮願いたいのは、他方が刑罰、他方が行政的措置とはいえ、いずれも国による制裁であり、その収益も国に帰するのであるから、ここに、被告人に対し、国による二重の刑罰的不利益負担、そして国による二重の収奪(二重なるが故に敢えて収奪という。)が行われることになる。これは処罰される立場からみれば、やはり何としても不合理である。特に、本件のように、申告自体を逋脱犯の実行行為と見る事案においては、特に不合理であるというべきである。刑罰の目的が達せられるためには、処罰される者の心服こそが必要であり、その観点からすれば、右不合理感は罰金刑のあり方によって是正されるべきものと考えられる。

仮に百歩譲り、罰金額を併科するべきであるとしても、その額は相応の減額が考慮されるべきである。さらに所得税法二三八条一項の罰金額の上限が五〇〇万円でありながら、同条二項のスライド条項の適用が常態化しているのは、被告人が実際に得た利益の実情に応じてのものであるということができるであろう。ところが、本件被告人には、そのスライド制を適用すべき利益が残っていないのであるから、右一項の本来的適用に帰すべきものと主張したいのである。

いずれにしても罰金刑が一億円という多額にのぼるのは、本件の実情に照らし、余りにも重きに失し、不当であると考える。

六 以上の次第であって原判決の量刑は、奮励努力を重ねて今日を築き、今ようやく老境にある被告人に対しては本件犯情に照らし酷に過ぎるものであって破棄されるべきものである。

第六 結語

一 弁護人として本件に関与し、被告人の生き方や人柄に対する理解を深めつつ、被告人の本件株式取引行為を考察して、根本的に感ずる疑問は、本件が果たして刑罰に価するかという点である。

前述したとおり、被告人の株式取引をめぐる行為には、いずこを見ても秘匿隠蔽がなく、その取引を取次いだ山一証券阿倍野支店や被告人の口座のある銀行の備付け帳簿等を一見すれば、直ちに全容が明らかになるものであった。そこには「偽りその他不正の行為」が一切用いられていない。この点については検察官も争わず、原判決も認めているところと思われる。

被告人は、確定申告に当たり、右株式取引によって得た利益を申告しなかったのであるが、それは、証券会社を介しての株式取引について有価証券取引税が差引かれていることから、税は納付済みと考えていたからであり(なお、株式取引における原則非課税制についても、損益の出入りの多いことに配意されたものと理解していた。被告人が六〇年以前の株式取引において大きな損失を出していたことは前述のとおりである。)、被告人の人柄や人生態度からすれば、税務当局から、もし一言総合課税の対象となりますよ、と注意されたなら、被告人は、自己の無知を恥じながら、何のためらいもなく、直ちに修正申告をし、遅滞なく本税全額を納付したことであろう。

自己申告制の下における我が国所得税の納税確保について、税務行政では、実務の場でもその法制においても、納税者の立場に応ずる段階的姿勢が存在する。まず、第一段階として、所得申告時における指導助言がある。次に第二段階として、税務調査がある。この段階で申告漏れが発見されても、修正申告をさせて終わることがほとんどである。第三段階として、いわゆる査察がある。この場合は事前の内偵と広範な取引関係先を含めた強制調査によって全容が明らかとなれば、脱税の手段方法や脱税額に応じて検察官に告発され、検察官による捜査を経て起訴に至る例が少なくないとされている。もっともこのような刑罰権の対象となる件数は、第一段階からの全問題案件の総数の中では、ごく少数ということになるであろう。

このように税務行政を全体としてみれば、そこには、国民感情を考慮し、納税意識の向上を念頭に置きつつ、苛察にわたらぬよう慎重な配慮が加えられるようになっている。即ち、刑罰権の行使は、いわば伝家の宝刀として、他に方法なき場合の最後の権限発動である。

本件のような被告人に、本件のような行為に、どうしてこの最後の手段が容赦なく加えられる必要があったのであろうか。

弁護人が本件について、根本的に問い続けたのは、この一点にあった。

検察官は、これに対し、真摯に答えてその所信を明らかにするところがなかった。

原審裁判所は、弁護人の主張に関する立証に相当の時間を割きながらその判決においては、これに答えることなく、技術的論理で一蹴したというに等しかった。

二 原判決に存在する右のような根本的問題点を、控訴趣意として具体的に構成すれば、前述してきたとおりとなる。

供述証拠の信用性を吟味する最も有効な方法は、その供述を支えるべき客観的状況との符合度とそれを基調とした反対尋問の行使である。検察官申請証人の堤竹勇と金井正和の供述は、右観点からする弁護人の反対尋問によって、調査、捜査段階の供述はその原形をとどめることができなかった。同様の手法により税理士前田克彦の供述も同じ運命に帰着すべきであったのに、死亡により査察段階における質問てん末書の供述がそのまま証拠として採用され、しかも税理士なるが故に何の疑いもなく全面的に信用性あるものとして、本件有罪の決め手とされた。

「偽りその他不正の方法」による逋脱罪の解釈について、最高裁判所の判例の変遷をみると、刑罰の適用については、事案の具体的事情の上に立ってきわめて慎重な判断姿勢が一貫しており、これらの点についての弁護人の指摘に対しても、原判決は格別の説得力ある理論的展開を避けている。

一方において、訴追される側の、石井秋平被告人の真摯にして生真面目な八〇年余の生涯をかけた人生があるのに対し、原判決は果たして何程の感銘力をこめた判示があるというのであろうか。

本件において、被告人・弁護人は、自らの主張が貴裁判所において肯認されることを切望するものであるが、被告人・弁護人の提起した問題点に対し感銘を残すに足る御明断をお願い申し上げたい。

以上

平成四年(う)第一九五号事件

控訴趣意書補充書

所得税法違反 石井秋平

右被告人に対する頭書被告控訴事件について、弁護人の控訴趣意書に左記事項を付加する。

平成四年八月二六日

右被告人弁護人

弁護士 岡島嘉彦

大阪高等裁判所第六刑事部 御中

第一、量刑不当の主張に対し、更に次のとおり追加する。

一、被告人は、株式取引を会社名義又は被告個人により継続してきたものであるが、被告人が株式取引により利益が出たのは僅か昭和六一年分とその翌年の昭和六二年分のみであり、毎年巨額の欠損を出している。ここ数年に亘り日経平均株価(ダウ)が急落したが、特にここ二~三ヶ月ダウが一万四千円台に下落した。そのため被告人は、株取引により損失が約五四億円の欠損を出し、銀行からの借財や証券会社への未払いが重なり、経済的にも極めて困窮している現状にあり、罰金支払の能力は全くない。

株取引による課税は、利益が出た年分のみ課税され、欠損のときは個人所得税上何らの顧慮を払われない不公正な税制というべきである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例